第177話「ふたつの13年」の巻

 ある冬の朝、パソコン通信掲示板より。

ジャポニカ熊井帳
1 :名無し募集中。。。:2011/12/20(火) 06:13:24.25 0



5 :名無し募集中。。。:2011/12/20(火) 06:25:25.66 0
なんで自由帳じゃないんだばか


 こんばんは、>>1こと馬鹿です。
 てか自由をお探しの皆様アロハ! 漢字の練習に余念が無い柾木大造です。先日わたくし、本年最後の長期休暇を活かして独り旅などとシャレ込みまして、静岡へ行ってワニとお会いし、そしてワニ料理に舌鼓を打ったとゆーこのお話はちぃーっとも面白くないんで控えますけど。それ以前に立ち寄った渋谷で、こう云ったお買いモノをしました。


 


 そんな訳で本日は「グルメレポ:ばいきんまんチョコ編」をお送りします。嘘ですってゆーかそんなブログが何処にある。しかし国民的アニメの主要キャラクターだからそりゃーおかしがあってもお菓子くないんだけど、冷静に考えたらヤバくないですか? だってバイ菌だよバイ菌。それも「ばいきんぼーい」とかならまだしも、「まん」ってくらいだから恐らく成人。そんなバイ菌おぢさんのお菓子をお子様がネブッちゃって。バイ菌のキャラ弁お作りになるご家庭とかあるのかしら? 「よーし、腕によりを掛けてバイ菌べんとう作るからね」「ヤッたねパパ! 明日はホームランだ!」「コラコラよしお、うちでは『パパ』でいーけどヨソぢゃ『ママ』って呼ぶんだよ」。何のお話だ。
 えーっと、上の画像・左に現物が映っているし右のレシーツに商品名もバッチリ入っている通り、発売から2年以上が経った人間椅子のアルバム「未来浪漫派」を今さら購入しました。この愚ブログと申しますモノは、ハロプロフアンブログの体裁を装う一方やたら人間椅子の名を出すけど、「ネヅミ男こと鈴木研一のアイドル性にも注目」とイカ天年鑑に著された彼等は、アイドルと音楽を語る上でやっぱり避けては通れない道です。1990年にメヂャー・デビューし、ぼく自身は1993年に出会ったこのバンドは、世界の何処にも居ない存在でした。暗くって、重くって、とんでもなくテクニカルで、どうしようもなく可愛くって。だけどぼく、現在の人間椅子はそんなに好きでもないんです。
 分岐点は2001年9月のアルバム「見知らぬ世界」、分けてもその中の「さよならの向こう側」でした。主に作詞を手掛ける=バンドの世界観の軸となる和嶋慎治さんが明らかに“変わった”事で違和感を覚え始め、そして2006年2月のアルバム「瘋痴狂(ふーちーくー)」でついに音の質まで変わった、とぼくは感じてしまいました。だからワヂーの髪がさびしくなろうが、研ちゃんが太って終了しようが変わらずに続いていた13年の歳月に、一種の見切りをつけたんです。それでも昨年末に発表されたライヴ盤だけは入手していて、最近になって急に「赤と黒」を気に入り、それのスタヂオ録音が収録されている「未来浪漫派」を手に入れた、と。他の曲はやっぱり「う〜ん」だった、と。


 


 必ずしも彼等との「さよならの向こう側」に渡ってしまったつもりではないけど、34年も生きていると、事が音楽だけでも様々な出会い、そして別れがあるモノです。「出会い、そして別れ」、なつかしいですねー。椎名基樹率いるバンド「正露丸エックス」の、♪うん●こーっ! う●んこ−っ!って叫ぶだけの曲。ぼくが中3の時分に電気グルーヴの深夜ラヂオでそれが掛かったんですよ。それからしばらくして、同級生が卒業文集へ「出会い、そして別れ」ってタイトルで寄稿していて。いや、それらしい題名なのは分かるけど、椎名の方が脳裏に焼き付いていたぼくは独りで笑いが止まらなくなっちゃったってゆー。それ書いたの確か女子で、だから余計におかしかったんだと思うの。
 「ならば問う! 先ゆき不明瞭とは何ぞや!?」「ポテチの空き袋に顔さ突っ込んだニャンコの如し!」、そんな与太を垂れ流していますけど。かつてぼくはヨソの派閥のアイドル(含む、人間椅子)ってゆーか、某K-POPガールヅに夢中になりました。事実メロメロだったけど、それは暗黙のルールを冒す行為だとわカラなかったんです。無理矢理なダヂャレをいーますが、ぎゅりぎゅりな所でグッと踏みとどまり、彼女達へおわKAREを告げ、ハロプロフアンブログとしてヤリ直そうと我を律した結果、俺は気ずいたね。
 ハロプロ内なら、浮気し放題だーっ!


 


 ……ナニか問題でもっ?>ル ’ー’リ しかしフリー浮気を念頭に置いてハロプロを振り返ると、右も左もあなたもこなたも美少女美少女また美少女でインド人もビックリ&うみゃーでかんわのハヤシもあるでよ状態。しかるに、前述した独り旅のお供として、嗣永桃子を愛する者としてはマスツなBuono!のデーヴイデーの他にも、失礼ながら今まで興味の●チガイだった℃-ute真野恵里菜ちゃんのブツも手に入れたと。残るモベキマスの「モ」と「ス」、モーニング娘。は追って発売になる高橋愛ちゃんご卒業公演のモノに目星をつけていたから、この時点ではパス。「今後応援する」とぼくが宣言したスマイレージは、まさに「今後」の彼女達を応援するつもりなので、今はまだスルー。
 果たして、モベキマスではBerryz工房一筋で5年ヤッて来た30親父に訪れた新たな出会い。うん、まあ「訪れた」ってゆーか自分で選んで自分で買ったんだけど。それで、よくよく考えたら℃-uteの単独ライヴの映像って、動画サイツ様で1年前に拝見したっきりだったんです。その時は「『江戸の手毬唄』って盛り上がる系とも聴き入る系とも思われないけど、ライヴではどんな風に機能してんだんべ?」と不意に気になって。そうして(現在は消された?)動画を再生し、何らかのツヤーの1発目だったと知り、クチがポカーンとなり。こんな℃-ute童貞には敷居が高い☆カナ?とは思いつつ、ふつーのライヴよりも独自色が濃く出ているであろう「℃-uteの日」の今年のモノを選びました。
 このイット革命の時代にあり、ちょっと興味をお持ちになったばかりのカタギの衆がパソ通掲示板をご覧になってドップリ、みたいなケースをチョイナチョイナ目に耳にします。逆に、すでに特定のグループやメンバーにドップリだったりすると、それ等に関するスレッヅしか開かないと思うんです。ぼくの場合だとBerryz関連の。それでも否応なしに食指を動かされるスレもあったりして、例えば「田中れいなちゃんのお弁当を石田亜佑美ちゃんがコソ泥」的な。いーなぁコソ泥キャラ。居なかったなぁコソ泥アイドル。吹き始めたな、新しい風。目指せハロプロ佐竹チョイナチョイナ。あ、こーヤッて個人に関心を持つ所から始まってフアンになるんだっけ。なつかしいなーこの感覚。
 福田明日香ちゃんご卒業と前後して娘。にハマり、「羊」板にお邪魔し始めたのが99年だから、もう13年かー。そりゃあ親父にも似て来る訳だ。家では厳格だった父、外では「ママ」と呼ぶ様に強いる父。それはさておき、「羊」から「狼」へぼくが移住したのは確か06年。そこがイカに非アイデー制とは云え、当時のJSを捕まえて「愛理とSE●Xしたい!」等と飽くなき欲望をムキ出しにする先住民の姿には、尊敬の念を禁じ得ませんでした。他には、事あるたびに「中島早貴ちゃんにおちん●ちんを見せたい!」みたいなスレも立つけど、こればかりはいまだに納得イカないんです。だって、意を決してヅボンを脱ぎ、こんな顔をされた日にはもう男として死んだ方がマシぢゃないですか。


 


 


 やっぱりこんぐらいのリヤクションを見せてくれなくっちゃ。こっちだって相応の覚悟がある訳で。“ハイ・リスク、ハイ・リターン”……ディス・イヅ・漢(おとこ)の生き様ですよ。アレ、何のお話だっけ? あ、そうだ。そんな訳でぼくが選ぶ「見せたい顔」1位は新井愛瞳ちゃんなんですが、違う。なかなかどうして佐藤綾乃ちゃんもいー所を突いてくれていますが、もっと違う。えーっと、℃-uteのライヴ・デーヴイデーを初めて買ったってお話。なんだけど、12/10に購入し、3泊のヘベレケ旅行に携行したマイコンで鑑賞したり、帰宅してからも何回か観ているのに、どうしても「中禅寺ナキ子のコーナー」で引っ掛かり、そこから先へ進めないってゆー。アレが℃-uteの独自色?
 そう云えば、℃-uteや恵里菜ちゃんの単独ライヴに触れるってゆー、ぼくにとってのはじめての経験は14.0型のマイコン@出先だったんですが、楽しみにしていたのが、帰宅したら我が家の大型TVで改めてエンヂョイしようって。自慢っぽく取られるのも本意ではないけど、結構でかいんです、うちの。3億v型。で、我が家のPS3くんはどうやらぼくが家を空けた事でスネちゃったらしく、ふつーのデーヴイデーはおろか、クリーニング用のそれを入れても「ヅガーッ! ヅガーッ!」、そしてガーッ!>从・ゥ・从 と、少々おむづかりのご様子で本日モ反省ノ色ナシ。要するにデーヴイデーを読まなくなっちゃったんですけど。買ったのは2年前だし、ソニータイマー来たなと。


 


 そんなこんなで家でもマイコンでの視聴を強いられていますけど、帰宅したその日もド昼間からお酒をカッ喰らいつつ恵里菜ちゃんの映像を観ていて、単なる思い付きってゆーか酔っ払いの悪ふざけで、いやしくもオジー・オズボーン先生の名を騙ったモノです。だけどそれが英文だったのが裏目って、英語圏らしきお名前のユーザー様から速攻でリツイーツを頂戴しました、無言の。……いやこれ恐いって! 「@(ぼくのユーザー名)」で、あと空白。したっきゃぼくからもね、得意の英語で「EKUSUKYU-DU MI-?」から始まって謝罪っぽい事を述べたのにナッシングのツブテ。恐る恐るその方のプロヒールをクリックしたら、「このユーザーは存在しません」だって。何だったんだんべアレ。


 


 来年のBerryzのカレンダーつまんないですねー、でかいナマ写真って感じ。それどころか1枚ごとに日ずけの位置がガタガタの血液ガッタガタだったり、黒地に白文字の月なんかは予定もロクに書き込めないし、まづカレンダーとしてアレ。♪まあ、別ぅにいーいけど〜>ル ’ー’リ 何でかっつーと、ぼくの根っこはやっぱりBerryz工房だから。……男前な感じでしょ? 今日の馬鹿記事だけでもあっちこっち浮気し倒した分際で。うん? こんなお話をしたい訳ではないぞ。アノ、ぼく、99年に娘。にハマり、03年に一度リタイヤしたんです。その後05年に小春が加入した事で、以前にもまして業(ごう)の深い散財をする様になった訳ですが。はるばる新潟公演へお邪魔したのも症例のひとつ。


 


 06・10/8(日)、新潟テルサ様でのライヴに備えて前日に現地へ入ったんだけど、その時の天気っつったらアータ、ぼくの記憶の上では熊谷市は確か1週間ぐらいづーっと雨で、逆にぼくが熊谷を発った土曜日は晴れ。そして新潟に着いたと思いきやまさかの暴風雨。だってホテルさ着いてTV点けて、そちらのローカル局さまのトップ・ニュースが「佐渡への船が運休」だって。ぼくが雨を連れて行った感にさいなまされ、さりとて憂さ晴らしに繰り出す状況でもなく、グレてヤル!等と安宿で独りパツキンに染めたのも今となってはいー思い出です。またこの密航と前後して娘。以外のグループにも色気を出し、分けてもBerryzにヅッぱまったぼくにとって、不思議な縁を感じさせてくれるデキ事もありました。


 


 「ハロモニ。」! なつかしいですねー。ご当地では半年ぶりに放映されたとゆーそれがBerryzをフィーチャーした回で、そこに埼玉者が居合わせる奇跡。あと「オープニング」に続くコーナーが今となっては大変キョーミ深いですねー。ムフフ。それはさておき、上の画像は無断転載です。だって大元のブログ様がコメンツ受け付けて下さらない仕様だから、しようがないでしようがー。あはっ(仙石みーこギャグ。それを34♂がマネて大惨事)。かくして遠き地での邂逅劇もあり、その年末に発表された娘。の「歩いてる」が余りにも肌に合わなかった為、結果としてBerryz工房とゆー名の1本道を突き進む破目になって現在に至ると。だから現状Berryz以外なーんも分からんちんどもとっちめちんだけど、今後ちょっとづつ「ハロプロ」を知って行こうと思います。モキマス・フアンの皆様、こんな13年目のド新参を以後よろしくお願い申し上げます。バイバイキーン(^-^)ノシ