第126話「マーシー、慈愛のひと」の巻


過日の2ちゃんねる・モ娘(狼)板、とあるスレッヅより。

305 :名無し募集中。。。:2011/01/29(土) 13:35:19.69 0
おれもブログやりたい
どうやってやればいいんだ


306 :名無し募集中。。。:2011/01/29(土) 14:07:53.33 0
1 無いならメアドをとる
2 ブログサイトでアカウントをとる
3 新しく記事を書く
以上


307 :名無し募集中。。。:2011/01/29(土) 14:44:36.13 0
ありがとう
早速作ってみた


308 :名無し募集中。。。:2011/01/29(土) 14:45:25.61 0
晒してくれたまえ


とっくのとうに落ちたスレではありますが、かくの如く優しさとおふざけ精神が入り混じった、狼のよさにあふれ返った場でぼくはこの愚ブログのURLを晒すと云う露出プレイを敢行いたしまして、お蔭様で多くのアクセスを賜りました。
狼のみんなありがとう! その節はお世話になりました。
ならびに、30親父の独り言に平素よりお付き合い下すっている、慈愛に満ち満ちた常連様おありがとうごぜーますだ m(_ _)m からの、アロハ!
自あ慰に満ち満ちた独身生活を謳歌している柾木大造です。
このところ鈴木愛理ちゃん(以下、自主規制。もしくは自手器性←思いつき。そしてこれから続く、自分の年齢の半分にも満たない少女へ寄せる性妄想も大幅に削除。美味しい顔をするの☆カナ?とか。ムフフ)。
さて、上記のコピペの日付をご覧くださればお分かり頂けるかと存じますが、本日の愚記事は先月末から練っていたモノでして、今日に至ってようやっと一応まとまりましたので、こゝに露出いたします、ボロリンチョと。


先日2/2(水)はBuono!の最新曲「雑草のうた」の発売日であり、奇しくもその日に非番を割り当てられていたぼくは2軒のシーデー・ショップにお邪魔したのですが、どちらにも置いてはいませんでした。
だったら大好きな通販に頼めば、多少の時間は掛かれど手には入る訳ですが「現物が無いんだったらもう、これは要らないや。そもそも楽曲に魅力を感じていないし」なんて思っております。
このお唄をお気に召した方も多くいらっしゃる裏で(新発売のシーデーも店頭に並ばない様なド田舎で。埼玉の熊谷で)こんな事を述べるのも心苦しゅう御座居ますが、積極的に「欲しい」と思ってはいなかった   と申しますか、幾ばくの失望を感じておりましたモノで「無ければ無いで、いーや」と云う結論に至ったんです。
現物がお店に有ったらね、万引きはしたけど。


何せBuono!の1年振りの、まして“移籍第1弾”(←ロック語!)が岩里祐穂センセの手による「雑草のうた」と来たのですから、情念と優しさにあふれ返ったモノを勝手に夢想していたぼくが悪いんですけど、buonochannelに上がった動画を初めて視聴させて頂いた時にはヅッこけてしまったモノです。
以下は素人の意見の押し付けに過ぎませんし、正規の音源を耳にしてもいない奴は本来ナニをヌカす権利も有さないと分かってはいるんですが、皆様こゝはひとつ寛大なお心でオメコボシ下さいませ。


まづ耳に入って来る点から申します。
●イントロを始め、随所に使われるシンセ・ドラムのスネヤが邪魔。
●「ハイ! ハイ! ハイ!」に掛けられるリヴァーブが邪魔。
●サビで右に左に振られるシンセ音に至っては、ロックの邪魔しかしていない。
他にはギター・ソロに入る前の「あきらめんぢゃねっえー」の「め」、あるいは「ね」の部分でピタッとブレイクした方がかっちょえがったなぁなんてミミッちい注文もある一方、ライヴで盛り上がれそうだとは思います。
たゞ冒頭のベースのリフ部分は面白味に欠くので、ライヴで演奏する際はブラック・サバスの「N.I.B.」、もしくは筋肉少女帯の「ゴーゴー蟲娘」ばりにブンブンうねらせて焦らすだけ焦らしてから実奏に入って場内を煽るか、そもそも邪魔っ気なその部分を取っ払って、いきなりドカン!と始めて観客の度肝をヌカしてヤッたら尚のこと盛り上がるのではないかと思ってもいます。
いづれにしても、マーシーこと真島昌利さんのお言葉を拝借して「要らないモノが多過ぎる!」と云った所でしょうか。


次に歌詞ですがBuono!の、そして祐穂センセの作品とは思われないんです。
それは「名前を持たない道端の草みたいに、誰にも知られていない気分はどうだい?」と云うフレーヅに顕著で、主人公は誰で、何処から目線でモノを云ってんの?って構えちゃったんですよね、ぼくみたいな者は。
ぼくみたいな者のロック史のひとり目の登場人物は大槻ケンヂさんなんですが、ナニかにつけ現実逃避をテーマに詞を書く彼はかつて「“弱さ”を売りにしている」と揶揄気味に評された時、「『“弱さ”を克服しようとあがいている』、そのサマを売りにしている」と反論しました。
その言葉と同種のイルネスをBuono!×祐穂センセの掛け合わせ(悪魔合体)はヒシヒシと感じさせてくれていたからこそ「雑草」には期待していたんですけどね、今回はご縁が無かったと云う事で。
ちなみに、ぼくが思う悪魔合体ベスト3は以下のフレーヅ。


「汚れたバスの窓から見える景色が、遠く小さくなってゆく。振り向かないで、前を向いて。何処へだって行けるさ」(泣き虫少年)


「きみが笑っていると、不思議だけどおかしいくらい安心できるんだ、壊れ物のふたつの心が…。がらくたの夢抱えてぼく達は彷徨う、まだ石ころにしか見えないけれど。がらくたの声を聞いておくれよ、一生懸命うたってるから」(ガラクタノユメ)


「ぼく等は旅の途中で何度もジャンプ繰り返し、『此処に居るよ』って叫んでいる。転んでもなお這い上がり歩き出す、ゴールはまだ見えないけれど」(ゴール)


いま書き写しながら泣いた、俺。
居場所の無い者、居る事を理解してもらえない者、居なくなって初めて存在に気づかれる者…要するに詰んでる奴の悲哀を、それでも生きる事を選ぶ奴の悲喜こもごもを祐穂センセは分かって下さっていると思っていたんですけどね。
また、他のアーチストさんへ提供なすった詞でも、
「生まれて、誰かに守られて、ひとはみんな歩き出す。やがて誰もが何かを伝えるのだろう。無駄な命なんて無いの。だからきみはもう泣かないで、泣かないで」(愛は降る星のごとく)
とお書きなすったセンセは、詰んだ奴を優しく見守ってくれる聖母だとも思い込んでいたんですけどね、勝手に。


センセはプロであらせられるから曲調に応じてこの程の詞をお書きになったのかも知れないけど、全編を通じて繰り返される、甘えてんぢゃねー! あきらめんぢゃねー! そんなの関係ねー! そんなに関係ねー!と云った汚い言葉使いをぼくは受け付けません。
この愚ブログと申しますモノは淫語に類する検索語で数多の集客を貪り(事実『検索:ぽっちゃり体型+エロ画像』から須藤茉麻ちゃんと菅谷梨沙子ちゃんの水着画像にお越し下さったお客様とか)、はてな界における評価の証、はてなスターを賜った数は実に3億個! それが故に最近となっては町を歩いているだけで「よっ! インゴ・スター!」なんてお声掛けも引っ切り無しで、その度に手荷物を置いてテキトーな所へ腰かけてエヤー・ドラムでお応えするぼくですが、目をつぶって気持ちよくエヤーを叩き切った後で辺りを見渡したらお声の主もぼくの荷物も無い!と云った置き引き被害に遭う事もしばしばなぼくですが、指をさして嘲笑する群集のど真ん中で独りぼっちなぼくですが、ナニ書いてんだ俺。
要するに、うんこちんちんレヴェルの淫語は大好きで、そんなモノでばかりこの愚ブログを埋め尽くしているぼくですが、言葉使いが汚いのは好まないんです。
口頭に出てしまった場合は仕方ないとして、歌詞や文章のそれはわざとらしいし、ナニしろ字面が汚いと思うんですが如何?(・ω・)
然るにぼくは愚ブログを「ですます」口調で綴る様に、ツラ構えはデスマスク調で綴る様に心掛けている訳ですが、一歩よそへ出たら、

いーちゃんの動画を色々乞食してたんだけど、やっぱり青春時代のロック・スターって絶対だよね。いーちゃんを始め、俺が90年代初頭から中頃にハマッたミュージシャンの音、メッセージが今も生きているんだから、もう新しい発見は必要ないって思う。


これはいつぞや、榊いずみ(42)ちゃんへぼく(33)が送り付けたツイートです。
約10才も上の人物に、まして自分がロック・スターと崇め奉る存在を捕まえて友達感覚のタメグチとはナニ事かねキミィ! 何だかとってもヅレテル! 閑話休題インターフェイス)てか俺の事なんかどーでもいー。
下品な男言葉で、ぅおまえが舵ぅを取るぇええいっ! はたまた、むぉうグァマンできぬぁい!(声の出演:郷里大輔)的力強さを表現しようと祐穂センセがお思いになったんだったら、それは間違いだったとぼくは思います。
例えば、マーシーことさだまさしさんの詞世界の様に優しく上品な力強さもあります。
金谷ヒデユキさんがマーシーのイメーヂを端的に「弱々しい、はかない、死ぬ、お墓」と挙げた様に、恐らくはそう云った固定観念に囚われていらっしゃる向きもあろうかと存じますが、マーシーは一本筋の通った、実に気高い精神に基づいた作品を生み出しておられます。


「ひとは私を哀れだと云うけれど、俺には俺の幸せがある。きみ達の幸せの為なら死んでも佳いと誓ったんだ」
「世の中思い通りには生きられないけれど、下手糞でも一生懸命俺は生きている。俺が死んだ後いつの日か、何かちょっと困った時にでもそっと思い出してくれたなら、きっと俺は、とても幸せだよ」(関白失脚)


「ぼくは『現在』を生きる事に思い上がりたくないのです。空を切り裂いて落下する滝の様に、ぼくは澱み無い生命を活きたい」
「ぼくは風に向かって立つライオンでありたい」
「最後になりましたが、あなたの幸福を心から、遠くから、いつも祈っています」(風に立つライオン


「もしきみが地図に無い街を探したきゃ、はじめに地図が必要だって事」
「確かにこの世はとても虚しい事だらけ。だからと云って、投げて佳いものだろうか」
「走り疲れたらお歩き。歩き疲れたらおやすみ。やがて休み疲れたなら、どうせまた走りたくなるさ」
「人生って奴は哀しいよね。でもご覧。よく見りゃ、まんざら捨てたもんじゃない」(立ち止まった素描画)


また泣いた、俺。
「〜素描画」に感化されて甲本ヒロトちゃんは「夏の地図」を、つんくPは「◯◯ がんばらなくてもええねんで!!」をそれぞれ作詞したと云うのはぼくの作り話ですが、マーシーの大作「防人の詩(さきもりのうた)」のサビのフレーヅ、「海は死にますか? 山は死にますか?」を捉まえて竹中労センセが「おまえが死ね!」とディスったのは実話ですが、何にせよ、ニコニコ動画様の「作業妨害用BGM」ぢゃないけどマーシーってBGMに不向きなんですよね。
流して聴きたくないから、高潔な音楽と一対一で向き合いたいから、マーシーのお唄を拝聴する際ぼくは決まって、疲れるほど身を正すんです、だからあんま聴かないんだけど。
話を祐穂センセの「雑草」に戻しますと、野蛮で粗野な語群の中でぼくが最も引っ掛かったのは「夢見てんぢゃねー」です(『ねーです』って猪木みたい。もしくは品川)。
詰んでる奴は夢を見なくちゃ生きてイカれないし、大河ドラマ「秀吉」で木下藤吉郎が目をムキながら叫んだセリフ、「夢を見なくてはつまりませぬ!」をセンセには、
从o゚ー゚从<♪ぅわーすーれてぇ〜くーれーるぬぁ
川*^∇^)||<とゆいたいです


Buono!の標榜する、あるいは上が標榜させる“ロック・アイドル”の、その“ロック”って何なんだろう?
彼女達のグループ名をヅバリと冠した「We are Buono!〜Buono!のテーマ」にも、アイドルだってなめてんぢゃねーぞ! 触んぢゃねったら触んぢゃねー! ふざけるんぢゃねーよ動物ぢゃねーんだぜ!と、自分達の在り方を表わすべき、グループのテーマ曲だと云うのに「雑草」と同様に粗暴な言葉が含まれているけど、そんなモノをロックの気概だと勘違いしていたら嫌だなぁ(´・ω・`)
今日の愚記事はいつにもまして個人的見解のオンパレーヅですけど、長髪や金髪のアンちゃんが騒いでればロック!なんてBECK的な考えは、ぼくは違うと思っております。
むしろ「都会では自殺する若者が増えている」と云う衝撃的な1行から始まる、ヨーシーこと井上陽水さんの「傘が無い」なんて暗〜いし遅〜いけどロックだとぼくは思うんです。
またヨーシーとは真逆のヴェクトルですが、マーシーこと友部正人さんの「反復」が実にロック!…なんつって知ったかカマしてますけど、ぼくが存じ上げていたのは「たま」がアレンヂした沖縄民謡風なそれだけで、先日の愚記事に曲名をチョロッと書いた後から、他のヴァージョンってあるのかしら?と思って動画サイツ様にお邪魔したんです。
そしてツモったブツが1発で大当たり! それは三宅伸治さんのアコギだけをバックに、徒手空拳のマーシーが熱唱しておられる動画でした。
たまver.をぼくが初めて聴いてから20年近く経っているし、そのシーデーをこゝ何年も再生していなかった事もあり「あーこんなだったこんなだった^^」と懐かしがっている内にお唄は佳境に入り、握り拳も力強く、マーシーは声高に叫びます。


「この人生、何百倍にも茶化してやるが佳い!」


…こゝで俺の涙腺が決壊!
これぞロック! 俺の思うロック! 森羅万象を面白がって、社会の規範の中でデキる限りの悪ふざけをする事こそロック!
思い返せば多感だった中学生の頃にオーケンの著書で、様式美に則った頑固なロック道を邁進する橘高文彦くんに「ロックのライヴの最中にふざけた真似(お人形遊び)をするな!」と糾弾されたオーケンが、「ふざける事こそ俺のロックだ!」と逆ギレしてヤリ込め、最後には橘高くんから「これで遊びな」と新しいオモチャを買い与えられるに至ったと云うエピソーヅを拝読して、「ロックって、そーゆーモノなんだぁ…」とボンヤリ思った瞬間から、少なくとも“ぼくのロック”は“ふざける事”になったんだっけ…。 ※その本を読まなきゃよかった説。
でも、ふざける事だけがロックだと思い込んでいる訳ではなくって、橘高くんの美学にシビレもする様に、各人が強烈に発するロックを感じ取る事もあります。
ブルーハーツ時代の河口純之助ちゃんは、山本晋也カントクとの対談で「たけしさんに、すごくロックを感じる」とおっしゃっていました、アノ口調で。
ブラック会社勤務の柾木大造ちゃんは、話す相手が居るでもなく「嗣永桃子ちゃんに、すごくロックを感じる」とウワ言の様に繰り返しています、アノ口調で(どの口調で。てか河ちゃんの場合は第一線の現役ロッカーの公的発言だったから意味がある訳で、ぼくみたいな者が社会の底辺でナニをヌカしても無意味なんだけどねっ★)。
ももちももちろん、愛理ちゃん   愚ブログでは彼女を今まで「ちゃん」付けで称して参りましたが、このところ個人的に大変お世話になっていて、(身勝手に)身近に感じている事もあって今後は呼び捨てに改めます   鈴木もまたロックです。
基本℃-uteにうといぼくが彼女にロックを感じるのは、例えばライヴ・デーヴイデー「We are Buono!」で云えば、快作「Kiss! Kiss! Kiss!」での階段に腰かけてのウインク&キック!や、菅原潤子ちゃんのギターを強奪しての「弾けないギターを弾くんだぜ!」っぷりだったり、また昨夏のハロコン・デーヴイデーで云えば、怪作「Danceでバコーン!」でのシャウツだったりします。
アソコは「ワオ」がハロプロ的に正解だと思うし、一般的には「イエー」、ないし「ヤー」で済ませる所を、あろう事か彼女は「わあっ!」……何と原始的! 何と本能ムキ出しな咆哮! かっちょええ! まぎれも無く鈴木はロックだ!
ももち・鈴木と来て、残る夏焼雅ちゃんなんですけど、飽くまで私見に過ぎませんが、今の所ぼくは彼女からロックをあまり感じていないんです。
あゝ雅ちゃん…感じさせて…(*´ω`*)


ちゃお(^-^)ノシ
そしてそれぞれのマーシー・ファンの皆様、何かすいません(^ω^;)