第184話「地球は燃えないゴミだった」の巻

 


 いえ、ぼくの地域の不燃ゴミの日に地球儀が捨ててあって、なんか朝からドヨ〜ンって。そーそー、ゴミと言えば秋元康ですが  その前にごあいさつをば。
 ハロプロを愛する地球上の全人類にアロハ! そして秋元康に類する検索語からお越しの皆さまこんばんは。ぼくはあなた方の敵です、柾木大造(34)と申します。2月に入って1発目の馬鹿更新から嫌な感じの書き出しですが、発売ホニャホニャなスマイレージの「チョトマテクダサイ!」をこのほど取り上げるに際し、チョト思う所があり。
 甲を持ち上げる為、乙を叩く。これってセオリーっちゃーセオリーぢゃないですか。ハロプロ・フアンのぼくの場合、つんくP(以下、つんくピー)をヨイショする為に秋元康ディスる、的な。でも、そんなマネをしたい訳ではないんですよ。だってつんくピーあんまホメるとこ無いし。アノ、ピーのブログを読んでいないぼくは知らんかったんですが、パソコン通信掲示板で「ピーのお子さんのクチグセが『チョトマテクダサイ』で、そこから着想した」って目にして、それって秋元康みたいだなー嫌だなーって。
 まだ懐メロ番組ではなかった頃のMステにとんねるずが出演し、「ガラガラ蛇がヤッて来る」って曲を披露した際、製作こぼれ話で「秋元康が麻雀をしていた時、観るでもなく流していたTVで西部劇をヤッていて、劇中に『ガラガラ蛇が云々』みたいなセリフがあった。それを1曲の詞に仕立てた」とバラしていて。あるいはとんねるずが芸人として話を盛った、何ならデタラメかも知れんと今なら考えられんくもないけど、当時自分が中2とゆー厄介な年頃だった事も手伝い、「秋元康たらゆー人間は信用ならん」と。


 


 秋元康なんざ大したモノではない。それは重々承知していました。評論家ならぬ評判家、竹中労センセが「たま」を評判した1冊、その名も「たまの本」の中でセンセが、秋元康が作詞した美空ひばりちゃんの「『川の流れのように』なんてシロートでも書ける」と、鬼の様にお酒をカッ喰らいながら断罪なされていたからです。それを拝読した時ぼくは中1坊主で、センセは還暦。親子以上に年は離れていても、「たま」に惹かれる感性は等しい訳で、このおぢーちゃん(失礼)が仰せになる事に間違いは無かろうと。
 「川の流れのように」。ひばりちゃんの代表曲っぽく扱われがちですが、結果として遺作となったが故の過大評価だと思います。そりゃ音楽を語る上で思い入れは大切ですが、これも含め、秋元康がどんだけ美辞麗句を並べてもそれ等は全て「麻雀してたらTVで言ってた」言葉のコピペかも知れんくて、下手に思い入れたら馬鹿を見るってゆーか。それに、ぼくの亡母はひばりちゃんの大フアンでしたが、訳も無くこの曲を嫌っていました。母の中でのひばりちゃんの晩節を穢(けが)した秋元康を、ぼくは許さん。

 はたしてボクのお腹の中には何がつまっているのであろうか?
 (中略)なんかがつまっているのは確かです。こいつが時々腹の中ではおさまりきれなくなって、のど元まで逆行してくるわけです。ボクはゲロをはくかわりに詩を書きます。詩を書くと「なんだかわからないもの」の動きはとりあえずおさまる。つかのまスッキリします。


 (大槻ケンヂ著『リンウッド・テラスの心霊フィルム』より)


 ひらがなばっかで小学生みたい。それはいーけど、オーケンは自身の詩集のあとがきで、上の通り記しています。根暗少年が抱える「負の感情」とゆー不発弾を、血ヘドを吐きながら作品へと昇華させ、爆発させる。そんな彼に共感ってゆーかむしろ助けられて来たぼくは、TVで聞いた一言をネタにチョロッとヤッつけるだなんてユースト実況よか手軽な秋元康の手口が信じられん。その調子で「1日2曲は書く(キリッ!)」とかで、そっち側の信者は職人芸と讃えるか知れんけど、ぼくに言わせりゃ流れ作業ですよ。


 


 作詞業に心血を注ぐとか、魂を込めるとかが秋元康からは感じられんくて。いわんやグループをプロデュースするにおいてをや。今の今まで愚ブログはおろか実生活でも書いた事が一切なかった文字を、ここに記します。“TPG”、違う、そりゃたけしプロレス軍団だよ。えーっと、“AKB48”。まづこの名前がね、昨今の人気を博す前から大っ嫌いだったんですよぼく。メンドくさくってちゃんと調べてはいないけど、秋葉原をシマとする48人組って意味かと。でもそんなの、なんかの製造番号みたいぢゃないですか。
 精力増大ごりっぱ屋! ♪ぁごりっぱ屋っ、ぁごりっぱ屋っ。何のお話だ。勢力拡大に伴ってAKBの姉妹グループがあちゃこちゃ産み落とされるに連れ、ぼくの嫌悪感は増す一方です。難波だからNMB。博多だからHKT。たけしプロレス軍団だからTPG。あとなんか色々。どれもこれも機械的で温かみが感じられんってゆーか、それが逆にテクノのアルバムのタイトルで、仮に2ndだとして「CD-002」とかだったら無機質でイカすとは思うけど、あっちは人間の集まりだよ。名前を付けるなら気持ちを込めてあげなよって。
 お下劣なお話が長引いてしまいましたが、今回の本題は「チョトマテクダサイ」。チョトぐぐってツモったつんくピーのブログで確認した所、前述の噂は事実でした。だから「うわ〜秋元康的」とは思いつつ、ぼくはもーアップフロント一筋で行くって決めた者だからピーを容赦なく甘やかすけど、愛する家族のクチグセを作品にするのと麻雀してたらTVで流れただけの一言を商品にするのとでは重さが違うし、まーいーかって。最初にタイトルを聞いた時こそロッチのコカドくんしか頭に浮かばんかった訳ですが。


 


 この画像の通り、ぼくは通常盤を購入スマスタ。夕暮れのバス停、とゆーヂャケで郷愁に誘われて。だけど今にして思うのが、作中の“次のバスでは間に合わない”を受けてのデザインでしょーが、にしてはベンチでデーンと構えてるなーと。俺の花音なんか牛乳片手にパンかぢっちゃって。清志郎か、ポップジャムの。ぼくが「夕暮れ」と思っていた情景は、メニューが朝食っぽいのと“寝坊をしちゃったよ”との描写から「朝焼け」とも取れるけど、どっちにしてもPVは月夜ってゆー時空の歪みは糞事務所品質。
 「スマイレージ学園前」のバス停にタムロっている点から、そこの生徒達の下校(夕暮れ時)のバス待ち風景とゆー設定が推測デキますが、だったら衣装は制服でもえがった☆カナと。現行のモノはつんくピーいわく「サリーちゃん」のイメーヂらしーけど、歌詞との関連性は無いし、制服ルックはAKB一味の専売特許って訳でもないし。関係ないお話。先日ニュースで「制服の再利用店が何ちゃら」ってヤッていて、店内の様子が単なるブルセラ屋だったってゆー。ムフフ。あゝブルセラ通いの潔癖症 By 電気グルーヴ
 さて、正規の音源を聴いて引っ掛かったのが、平田祥一郎さんにとっての前作「ピョコピョコ ウルトラ」の90年代初頭のテクノっぽさと似ちゃってるなーって。いえ、クセ=持ち味だから、このスパンの短さをヌキにすれば、楽曲単体としては大好きだけど。ただつんくピーが自負する「洋楽みたい」とは思わんくて、逆に♪ツッタカタッタッ!とゆーフィルインが代表する昭和のコミックソング感が、個人的にツボなんです。そー言えばこないだ拾った初期スマイレージの変顔画像は、ドリフ魂にあふれていたっけ。


 


 


 そだっ★ 冬ハロで「チョト〜」が初お披露目された段階で、「意地悪ばあさん」のパクリだ何だと言われました。が、これはこれでアリ。そーぼくは思います。仮にパックンチョだとしても近年の売れ線を安易にマルっと模倣したのではなく、昔なつかしの元ネタから1部分を流用したに過ぎん訳で。だからAKBの「何ちゃらローテーション」のイントロが、ブルーハーツの「終わらない歌」のそれをゴックンチョした事も批判はしません。
 「ヘヴィー何ちゃら」はね、AKB大嫌い! 石川よしひろ大好き(はぁつ。※電気ギャグ)なぼくでも知っています。なんかブルーハーツとAKBを共に好んでいるってゆー変わった後輩が居て、その子が「似てません?」ってスマホで動画を観せて来たから、無理矢理。んでイントロから頭サビが終わった時点で「パクリは分かったからもーやめてけれゲバゲバ!」っつって止めてもらったけど。あと竹中労センセがおっしゃる通り、歌詞がシロートみたいだなーと。♪ガンガンなってるミュ〜ヂック、ヘビ〜ロ〜テ〜ションッ!て。
 で、ダンスの事。パパイヤ鈴木と親父ダンサーズの曲に、ちゃゆうううう! 違う、左右のステップを橋本マニア(こーゆーお名前)さんが真逆に踊り続け、最後は周りが1拍ヅラして橋本さんに合わせる、とゆーポリリヅム的フリがありました。一方「チョト」にも中西香菜ちゃんがヅレる所がありますが、別段ヅレを活かすでなく、ただ間違えた風になっているのは頂けん。だってそれが敵の目に留まれば  こんなこと書きたくないけど  ハロカス(笑)、そー言われて終わりだもん。


   これは人生の燃えカス。


 上の自撮りの通り燃えカスい自分ですが、おかげさまであっち(どっち?)はその辺の中学生にもヒケを取らんくて。でも美少女と見れば矢も盾もシャツもパンツもたまらづ!とゆー訳でもなく、AKBで言えば、CM等で見る限り渡辺さんはカワイーと思うし、先月PON!を観覧しに日本テレビさまへお邪魔した際1mの近さで直視した篠田さんはキレーだったし。あとよく「顔をいぢった」と聞くけど、改造前を知らんぼくは今の板野さんもカワイーと思います。でも、そこ止まり。深入りしたくなる+αを感じられん。
 AKBと共に「デンツウガー」言われる韓流。だけど、双方の実人気をぼくは認識しています。ぼくの本業はアフィとステマですが、カタテマに〒で小ゼニ稼ぎをしていて、韓国のスターのライヴのチケッツやフアンクラブの会報とかチョイチョイお届けにあがるし、前述の通りAKBフアンの後輩も居れば、目の玉が飛び出るほど高額の代金引換を扱った事もあるし。リヤルな金額は書けんけど、「こちらイク万イク千円になりまーす」「手持ちが足らんので下ろして来ます! チョトマテイテクダサイ!」だって(作り)。
 そー言えばぼく〒ってゆーか職場の草野球チームに参加していて、プロ野球が開幕もしていないのに気が早いけど、ペ、ではなく、バッティング・グローブを新調したんです。ハロプロの現場ではダンロッパーが主流だけど、基本アディダス派なアディダサー(略して『ダサー』)かつヘヴィメタラーなぼくにとって持って来いな、またはハチミツ持って来い!な、実にメタルい色味のブツを通販サイツさまでツモりました。そしてそちらのお店はネーム刺繍がロハとの事でしたので、調子ずいて発注したのがこちら。


  


 お店の方はお思いになったかと、「変わった名前だなやー」or「ふざけんな」。でも筋肉少女帯を愛する者が刺繍と聞けば「ナゴム魂」へ自動でJAUPする訳で。筋少の他にも今回チョロッと名前を挙げたたまや電気など、1977生まれの自分よか10こ以上お兄さんなナゴム軍団と共にぼくは青春を過ごし、そのままオトナになりまちた。日陰者たちに鍛えられ、そして精神をねぢ曲げられたぼくは、愛聴する音楽(この場合現在のハロプロ)がパッとせづ、理解デキん連中が大手を振っているなんて状況はナレっ娘です。
 思えば1968生まれのつんくピーも、ナゴム世代ないしバンドブーム世代にくくって差し支えないでしょーが、若かりし日の彼は音楽活動よりもアイドルにヅッぱまっていたと聞きます。それはAKBの源流であり、やはり秋元康の手による、お●ん子クラブ。そこから影響され、のちにハロプロを組織した、とはよく囁かれるお話です。が、お●ん子をよく分からん年代のぼくは思います。その存在があろーが無かろうが、つんくピー率いるハロー!プロジェクトは運命の名の下(もと)に誕生した。そー信じています。
 果たして「チョトマテクダサイ!」。底ヌケ(死語)にC調(死滅語)でチョベリグ(絶滅語)な本作は、詰んだ時にこそ聴きたい1曲です。かつてオーケンはブッ詰んだ女の子の為「生きてあげようかな」を書き、追って自身が燃え尽き症候群に陥り、湯治がてら“お猿とお風呂に入りたい”と、のちの「おサル音頭」を鼻づさみました。詰んだ時こそ馬鹿馬鹿しく、結果を急がず、生きてあげましょーよ。自分の命だもん。“日本一になる日まで、チョトマテクダサイ”、いくらでも待ちましょーよ。それでは皆さま、マタキテクダサイ( ^_^)/~~~


 
 ▲チョトマテクダサイ! Singed by 大槻ケンヂ