第162話「王貞ハール」の巻

 夏の終わりの、ある夜の事である。
 近隣の住民から「貧民窟」と揶揄されるアパーツの一室で、三十路高校生・柾木大造は寝こけていた。幸せそうな笑みを浮かべている。楽しい夢でも見ているのだろう。そんな彼を淫夢から引き戻すかの様に、携帯電話はヴァイブレーションを始めた。元々眠りの浅い彼は、モノ音ひとつで目が覚めてしまう。自然とケータイを手に取り、ヴァイブし続けているそれを己(おの)が股間へあてがった。そうして振動を体で一しきり味わい切ったあと、ナニかしらの液体(白いの)が付着したケータイを開いたのである。
 画面には「新着メール:1件」と表示されている。吉川友のモバイルサイツからの、虫に刺されやすい体質を「蚊にモテモテっス!」と表現する様なフザケたメールだろうか? 夜だから、それは無い。ではアメーバからの、Buono!のブログの更新通知メールだろうか? それも無い、あいつ等その存在をキレイに忘れているっぽいから。まれに更新されたとしても、「こんばんは、スタッフです」と、1行目からゲンナリさせてくれること請け合いである。
 果たして未読メールを開封するや、彼は眉をひそめるしか無かった。送られて来るいわれの無い内容、そして送り主だったからだ。

 8/24 00:00


 送信者:王さん
 件名:王さんゲーム


 これはあなたのクラス全員で行なってもらう王さんゲームです。
 王さんの命令は絶対なので、24時間以内に従って下さい。
 ※途中棄権は認められません。


 *命令1:男子出席番号12・金沢伸明、同58・柾木大造。


 金沢伸明の「王様ゲーム」を、柾木大造が読む。


 「何だいこれ!」
 何処でアドレスがもれるのか、出会い系からの迷惑メールにはしばしば「貴方の全てを知っています」や「最寄りのコンヴィニで今すぐ会いましょう」等と書かれている。が、本文を読むと「全てを知っている」どころか名前も知らないし、大造の住む埼玉県熊谷市にはコンヴィニが1軒も無い事さえ知らない。ムッシュかまやつが熊谷をTVで観た際モーレツな虚無感にさいなまされ、何にも無い何にも無い全く何にも無い!と思わずクチづさんだとゆー「やつらの足音のバラーヅ」製作秘話も恐らく知らなかろう。
 それに対し、“王さん”からのメールである。それには大造の世を忍ぶ仮のフル・ネームはおろか、世を忍ぶ仮のクラスでの出席番号、あまつさえ世を忍ぶ仮の同級生の名をも記されているではないか。そして、命令……現役高校生作家たる伸明の著書を、大造が読め、と。
 大造はそもそも読書をしなくもなかったが(フランス書院とか民明書房とか)、とんだ愚かしいブログを始めた昨夏以来、1冊1冊を消化するペースは目に見えて下落している。最近まともに読破し得たのは実話ナックルズぐらいのモノで、新しい本へはそうそう手が延びなくなっている。
 そこへ持って来て、伸明の「王様ゲーム」である。彼がケータイ小説作家として華々しくデビューした時、クラスはその話で持ち切りになった。しかし男女とも素肌ピチピチな若人(わこうど)90名からなるマンモス学級にあり、独りだけ土色のツラを下げたオッサン=大造は当然孤立していて、やはり話題からも取り残されたモノだ。
 そう、大造はクラスで唯ひとり昭和の生まれである。そんな彼は、いわゆる「ケータイ小説」を敬遠していた。しかるにその類(たぐい)のモノに目を通した事は無いから偏見でしかないが、本文の半分はセリフで、その語尾の多くには感嘆符。交通事故の描写であれば「キキィーッ! ドカーン! チュドーン! モクモクモク……スポン!」と小学生レヴェルの擬音で表わしてありそう。そう漠然と、かつネガティヴに捉えている。早い話が、幼稚なモノだと決め付けているのである。
 第一「クラスの人気者」とされる同性に背を向けて生きて来た大造には、世間を騒がせる同窓の男子はダカツの如く忌むべき対象であり、その著作を読むなど絶えがたき屈辱でしかない。それが伸明の著書ならづとも、見ず知らずの者から「この本を読め」と強要される筋合も無い。「下らないやい!」と吐き捨てると共にケータイを放り投げ、大造は改めて床(とこ)に就いた。就いったー(思い付き)。布団をかぶり、無意識にヅボンの中に手が入ったのとほとんど同時に、ケータイは再び震え出したのだ。

 8/24 00:30


 送信者:王さん
 件名:ごめん、書き忘れたwwww


 *情報1:女子出席番号66・鈴木愛理、同90・熊井友理奈


 大ちゃんアロハ! てかまだ起きてる?
 さっき云った小説さ、愛理と熊井ちゃんが主役だよん v(>-<)v


 「……ママママヂか!?」
 年々現れる新入生♀を品さだめする事だけを楽しみに、30を越えてなお留年し続けている大造である。落第人生最大の当たり年と云える現行のクラスでも1、2を争う器量よし(死語)ふたりの名は、飢えたる33才を釣り上げるには充分なエサだった。分けても、友理奈の存在は大きい。読んで字の如く、大きい。チョー大きい。
 何処でどうバグが生じたのか、今でこそこんな、


 


 女子出席番号29・嗣永桃子とゆー面白ガールに秘かなる思いを寄せる大造だが、彼は本来「モデル系の美人」をタイプとしている。
 ニ、違う、ヂグロい点を除けば、男子から「生き如来」と称される美貌と、優に180cmを超える長身とを併せ持つ友理奈は大造の性的ツボをグイグイと刺激する。また彼と接する際の、「様な」でなく汚いモノを見る友理奈の目には持ち前のMい血が大騒ぎして静まらない。


 


 そんな友理奈が主役の一翼を担うと知ったなら、例え憎っくき伸明の作品であれ、それを逃す手はあるまい。矢も盾もシャツもパンツもたまらづ!とゆーべき勢いで、24時間営業の書店へ(前屈の体勢で)大造は駆け出した。
 「どげーなストーリーなんだんべ!? 愛理とくまいちょーが主役で『王様ゲーム』だになぁ……ンムフフフフフ!」
 静寂が支配する闇の中、下衆も北埼玉弁もムキ出しのツイーツが響き渡る。そして、それが気に障った犬達の鳴き声がコダマする。
 「ケータイ小説だからっつって、喰わず嫌いはよくないやいな! 何てったって、ワンさんのお達しだにな!」
 先のメールの送信者“王さん”は、大造の脳内ではそれはもうミス・ユニバー何とか級のアヂアン美女・王(ワン)さんに設定されていた。彼女(?)の仰せの通りに「王様ゲーム」を読み切ったアカツキには、何かさせてくれるかも知れない。それ以前に、向こうからメールを寄こすって事は自分にホの字(死滅語)なんぢゃなかんべーか!? かように考えていたのである。げに哀しきは童貞脳。
 それから程なくして、彼は土色なりにホクホク顔で家へ帰り着いた。その手に握られていた単行本は、それ用のカヴァーも書店の袋も無い、裸の状態である。
 「万引き成功だぜ!」
 かのメールには「『王様ゲーム』を読む」と書かれていたが、決して「買う」とは書かれていなかった。文章の盲点を突き、伸明に印税も渡らない。そして向こう2ヶ月約束されている財政難をも乗り切れる、これは彼一流の頭脳プレイと云えよう。 ※マネをしてはイケない。


 


 果たして34年になんなんとする彼の人生で、ついに初めて相対するケータイ小説。平成の世に定着したそれは、昭和の人間にスッペシャルなヂェネレーション・ギャップを認識させると共に、これが若者文化か……と絶望的なカルチャー・ショックを覚えさせるに足る、異形のモノだった。


 


 「……ななな何だいこのスッカスカ具合は!? まじですかスカ!?」
 彼を襲う目の痛みたるや、あたかも白熱球を直視したかの如し。もはや芸能人ブログと見まごうばかりの余白! 余白! また余白! あゝ余白は木を切るヘイヘイヌー。読書には「行間を読む」また「埋める」と云った楽しみ方もあるが、この余白を埋めるには相当の労力を要しそうである。彼はもう歌うしかなかった。
 「♪何にも無い何にも無いインクの染みしか無い! からの、♪だーざーいーおーさーむーうぅに〜、ざーんーげーしーなぁ〜!」


  角川文庫刊「斜陽」。


 「てゆーか『銀魂』とかのが文字が多くなかんべか!?」


 


 物語は、「伸明」のケータイに届いた1通のメールに端を発する。送信者は“王様”を自称し、その命令は絶対。いわく「王様ゲーム、命令1:男子出席番号×と女子出席番号×がキスをする」。それは彼のクラス全員にも送られていて、指名されたふたりは云われるがまゝ、ノリも手伝ってキスをした。再び届くメールには「服従確認」。
 それ以来“王様”からの「イク番がイク番の足を舐める」、「イク番がイク番の胸を触る」と云った、コンパでの王様ゲームさながらの低俗な命令は続く。しかし胸を触られる事を拒絶し、期日にヅル休みした女子出席番号3・森咲樹、そして命令を実行し得なかった男子出席番号18・豊田秀樹の両者に「首吊りの罰を与える」旨が発令され、事実ふたりはこの世を去った……その事を朝礼で担任から報告され、騒然となる教室。席から立ち上がり、伸明は叫ぶ。
 「せんせぇっ!。まさか、ひできと、さきは、くびを、っってぃたんぢゃ、なぃですかっ!?。」
 ……目と頭の痛みに耐えながら数ペーヂ読み進める内に、掴まされた事に大造は気づいた。主人公は愛理でも友理奈でもなく、作者と同姓同名の「金沢伸明」だったのだ。されど「ゼニ返せ!」とは云えないのが何とももどかしい所だろう。
 ケータイとは云え小説、ホラーとは云え学園モノ。全国の金沢さんや伸明さんには悪いが、学園小説の主人公にふさわしいフル・ネームとは思われない。しかし白紙の中に点在する文字の大半は、伸明を描写する事に費やされる一方である。
 快活にあいさつをする伸明。級友を気づかう伸明。恋人に愛される伸明。ふざける同級生に呆れ、哀しくなってタメ息づく常識人の伸明。教師の言葉に真っ先に反応する、察しのいー伸明。また権力の象徴たる教師に屈さない、強い伸明。クラスの代表として意見する、頼れるリーダー伸明。暗い話題をしている女子の間に割って入ってとがめる、ナニ様な伸明。口論を始めた者を見ていられなくなって仲裁に入る、みんなの味方・伸明。恋人の頭を優しくなでる、優しい伸明。恋人の問いに優しく答える、何処までも優しい伸明。ゲームをする伸明。TVを観る伸明。マンガを読む伸明。疲れる伸明。
 何て素敵な伸明! 伸明! また伸明! 金太郎アメなら何処を切っても同じ顔だが、ひとつその名が出るたびに新しい伸明に出会え、そしてそれを伸明当人が著した本書は「伸明の伸明による伸明の為の小説」と云えよう。
 「イク番とイク番がエッチする」との命令が下された場面で、「『エッチ』て! 現役高校生っつったって、作者は野郎なんに『エッチ』て! 男たる者それは『まぐわい』と表現するべきだんべに!」と大造はツッコんでしまったが、「王様ゲーム」のナレーションは一味ちがう。かの命令を受けて沸き立つ女子へ、「ぁたまの、なかは、ェッチ、ぃっぽんかょっ!。」と切れ味するどくツッコんでみせるのだ。その1行の横には「ゎらぅ、ところだょっ!。」とルビが振ってあるかの様ではないか。大造ももちん笑った。鼻で。
 読みモノにおけるナレーションは、「神の視点」とされる。しかし本書ではそれさえもが「××が、のぶぁきに、○○してくれた。」あるいは「のぶぁきが、△△に、□□してぁげた。」等と(『あげた』とゆーいー草も引っ掛かるが)伸明の目線のみで綴られているのだ。「完全主観、金沢伸明」と云った所だろうか。AVかょっ!。(ゎらぅ、ところだょっ!。)
 大造が目を通した段階までの印象でしかないが、これは飽くまで伸明とその他大勢の物語に過ぎない。冒頭にはご丁寧にクラス名簿が記載されていたが、伸明以外の31人の個性が見えて来ないのだ。作者・伸明は主人公・伸明にしか興味が無いのか、あるいは作者は主人公より他の登場人物を動かす筆力も無いのか。そもそも動かす気が無いのか。最初には主役と聞いた友理奈でさえ、伸明の恋人役として以上の存在意義は無い。
 ナニかと「のぶぁきは、」「のぶぁきが、」とかまびすしいが、他者の発言になると「せぇとたちは、」ひどいモノでは「だれかが、」程度の書き捨てっぷりだった。それが最もケンチョなのは、伸明ともうひとりで級友の家に泊まりに行き、その母親にふたりであいさつをする場面だろう。
 「かなざゎと、ぃ〜ますっ!。ぉくさんっ!。ほんとぉに、ぉきれぇですねっ!。」
 「はしもとと、ぃ〜ます。きょぉは、しっれぇします。」
 「ぁらっ!。かなざゎくん、ぉくちが、ぉぢょぉづねっ!。」
 哀れ橋本くんドン無視の巻である。