お昼休みに、暇を持て余してケータイをいじっていた時の事です。驚くべき価値も無い、只々呆れるばかりのニュースを目にしました。
 田代まさしがコカイン所持で、薬物関連では3度目、通算5度目の逮捕との報です。
 違法薬物の中毒性・危険性、また人間としての倫理観について等を論じられる程の頭を持ち合わせないぼくは、ぼくが思った事を記そうと思うばかりです。
 ぼくはこのブログに「ふざけた人間でありたい。それはふざけたおとな達に憧れて育ったからだ」と云った事柄を何度か書いて参りました。だから「ふざけたおとな」のひとりだった彼も、社会的規範の一線を踏み越えるまでは好んで見ていたんです。
 主としてスリムなスーツで、時にアメカジでお洒落にふざけてみせた彼は、80年代後半の一時においては「お笑いビッグ3に勝るとも劣らない」と喧伝されるまでの人気を博しました。結局お笑い界のメイン・ストリームに彼はなり得なかったのですが、TVの中のトリック・スター的立ち位置として、必然性の無い扮装や小道具でささやかに、決して番組の和を乱す事の無い範囲でふざけていました。
 いつ頃だったかは流石に覚えていませんが、あるバラエティ番組のトーク・コーナーに彼と、腕っぷしの強さで鳴らす女性歌手がゲスト出演した時の事です。司会者に招かれて女性が先に、続いて彼が登場したのですが、いつもはリーゼントで決めている髪はグシャグシャに乱れ、眼鏡は片耳からぶら下がった状態でした。恐らくは、舞台裏で女性から暴行を受けたと云う体(てい)を装ったのでしょうが、司会者に唯の一言も触れてもらえずにいる彼の虚ろな目に、ぼくはお腹を抱えて笑ったものです。
 彼はおふざけを家庭にも持ち込んでいた様で、「コントの衣装で帰宅する事もある」、「自分が着る為のセーラー服を持っている」と語っているのを聞いた覚えがあります。当時のご家族がどの様な反応をなさったかは知る由もありませんが、母の手ひとつで育ててもらったぼくは、「そんなお父さんが居てくれたら、きっと楽しいんだろうなあ」と思ったものです。
 家族サービスとは云い切れませんが、彼なりに家族を笑わせようと思っての行動だったのでしょう。
 そんな彼が、最悪でも初犯の時点で家族を思えば立ち直れたと思うんだけどな。だって「誰かの為に生きる」事は重荷になってしまいがちだけど、「誰かを思って生きる」事ってすごく楽しいのにな。
 それでも彼は違法行為を繰り返しました。
 とかく世間と云う物は「立ち直った人間」に有利に形成されています。「くじけずに、腐らずに真っ直ぐ生きて来た人間」よりも「落ちて行く道を自ら選んだ挙句に、そこから這い上がる術(すべ)を世間に求める人間」を、むしろ世間は評価してくれます。彼はそれを利用する計算すら立てられなかったのでしょう。50年以上も生きて来てそのざまなら、これはもう「愚の骨頂」と評さざるを得ません。それが故の末路もむべなるかな、ですね。
 市井の民、分けても弱い部類のぼくの様な者が見限ったところで、彼には詮の無い事でしょう。でも、それは取りも直さず「そんな奴にさえも見限られた」と云う事です。
 誰かを救い得る強い力を持つひとが手を差し延べてくれるのは、救うべき価値の残っている人間にだけではないでしょうか。
 彼には、少なくとも昨日までの彼には救うべき価値があって、だからこそ幾つもの救いの手があったのに、結果としてそれ等を全て突っ撥ねて「もう救わないで下さい」と云わんばかりの行為に出たのは、他ならぬ彼自身です。彼にはもう、一本の蜘蛛の糸さえ垂れて来てはくれないでしょう。